社会人になった後、仕事と家とスーパーの往復だけで日々が進んで行く時期があって、さすがにこれでは人生が味気なさすぎると思い立ち、旅行に行くことを趣味にしようとした時期がありました。
しかし、もともと忘れっぽい性分だったせいか、旅行に行ってもどこで何を見たか食べたか、そもそもどこに行ったのかすら忘れることが多々でした。
そのくせ嫌なことばかり忘れられないという随分チグハグな脳みそでして、これでは碌な走馬灯が見られないのではと悩んだりしました。
結果、記憶を思い出すきっかけというか、記憶の窓を作れば良いのだと思い立ち、それ以来旅に行くたびに、何か1つものを持ち帰ることにしています。
ものとは何でも良いのです。観光地のお土産屋で買ったどうでもいいキーホルダーでもいいし、その場所に一切の縁もないようなただの絵はがきでもいいですし、公園に落ちていた花のかけらでも良いのです。
私はあらゆることを忘れていくのですが、そのものを見るたびに忘れていたはずの記憶が、ちゃんと記憶の美術館に飾られていることを確認できるのです。
これを始めた頃、折角なら記憶の美術館に残すのはパウルクレーとかクリムトみたいなそういうものばかりがいい、と思っていた時期もありましたが、
いざ飾ってみると、有名な観光地ですらない場所にある生しらすのお店までの細い道を照らす提灯の灯りであったり、すれ違った人たちのラフな格好であったり、通りすがったパン屋の香ばしい匂いだったり、道沿いのガラスに並べられた名前も知らないぬいぐるみだったり、そういう無名画家の作品ばかりです。
それでもなかなか悪くない走馬灯になるのでは、と思っています。