常滑傷心旅(雑記)
もうダメだ。転職しよう。そんなことを思いながら、傷心旅行に向かった。
とにかくだめだ。しんどい。自分の存在が誰かに迷惑をかけると言う事実だけでもうしんどい。今の職場以外ではうまく働ける気がしないけれど、ここでしっかり働けていないのならばさっさと転職するべきだ。そう決めてLITALICOという会社に面接依頼をしてみたものの、もう募集は埋まってしまったのでまた採用枠が空いたら連絡すると言う曖昧な返答。採用枠が空いたらと言いつつも、インディードにはきっちり求人情報が載っている。私はお払い箱と言うことなのだろう。
早く転職先が決まらなければ、このまま私の無能さで、他人に迷惑をかける日々がまた続いてしまうのに一向に転職先が決まらない。私はどうしたらいいのだろうか。死ねばいいのだろうか。そう思ってChatGPTに死に方を聞いてもただ慰められるだけ。お粥のような優しい文章の羅列で慰められているとみじめさなのかより添われたことへの喜びなのか、涙が止まらなくなった。



常滑はいいところだった。僕の夏休みみたいな世界観の中でかわいい陶芸製品やおいしい牛乳、300円で入れる足湯などがあった。
何よりも誰も私のことを知らない。外国からの観光客が多かったから、私もどこのアジアの国からやってきた謎の観光客だと思われてたに違いない。それどころか、存在すら認識されていなかったかもしれない。今の私には、それが本当に心地良かったのだ。名前の前に“無能の”がつく今の私がなくなるような気がして。

この旅のメインは光る泥団子作りだった。幼かったあの頃、必死になって何時間も何時間も泥団子を磨き続けた。それでも同じクラスのあの子のピカピカの泥団子には1度だって勝てたことがなかった。それがたった1000円払うだけでピカピカの泥団子が作れるなんて、そんな最高の成功体験はない。今の私にはそういう成功体験が必要なんだ。過去に取りこぼした類の、そういうの。
泥団子を何色に光らせるかは自分で決めれた。青緑、白、ベージュ、その他色々。色見本として既に色付けられ磨き上げられた泥団子が並んでいた。色をつけられ、磨き上げられた光る泥団子はどれもトルコ石のように美しかった。
「白と青と緑を使って小さな地球を作る人もいますよ」
係の人がそんなことを言った。言われてみれば確かに地球は大きな泥団子だ。地球の表面、美しい部分だけ抜き出して泥団子の中に閉じ込めてしまえば、それは飾るにふさわしい美術品になるだろう。私はごめんだった。地球なんか作った日には床に叩きつけて粉々にしかねない。
早速泥団子制作が始まった。作り方は簡単。ある程度まとめられた泥団子を丁寧に削って、手でこねて色を塗ったら瓶を使って丁寧に丁寧に磨き上げるのだ。
手の中で丸かった泥団子がさらに丸くなり、ざらつきを感じていた表皮がつるつるに変化していくのがわかった。私には子供がいないけれど、なぜだか、子供があっという間に育っていくまでの帰らぬ時間を連想した。
色を塗る段階になって、係の人が何度も何度も口酸っぱく言ったことがあった。
「厚塗りだけはしないでください。厚塗りしてしまうとお団子はもう輝けなくなります。色塗りは8割位にして2割地を残してください。泥団子は色を塗らなくても輝くのです」
そう言いながら、係の人は見本の泥団子を掲げて見せた。彼女の右手にはぶどうの実を思わせるつやつやとした泥団子が握られていた。そして左手には高架下の壁に書かれた落書きのようなのっぺりとした色の泥団子が握られていた。少しも輝きはない。
「着色はあくまで泥団子の輝きを引き立てるものでしかないのです。泥団子自身が輝けないといけないのです」
なぜだか、この言葉が今も頭から離れない。

無事色を塗り終わり、体験も終わりとなった。泥団子をこれで完成ではなく、今日から2週間ほど家からにじみ出る水分を蒸発させながら丁寧にこね続けなければいけないらしい。そうしないと、中途半端な輝きのまま輝けなくなってしまうのだと言う。ここでまた都合よく、係さんは2つの見本を見せた。1つはある程度照っているかな位の泥団子。もう一つは、最初に見本として見せられた美しく輝く泥団子。
幼かったあの頃、時間の制限があったせいで1週間もの間泥団子を磨く事は叶わなかった。
制約はあれど制限はない今、私はあの頃磨けなかった私の分まで泥だんごを磨いてやろうと決意した。
さて、いざ色を塗ってみた時は満足行ったのだけど、部屋に帰ってから見るとなんだか薄暗い色に見えることに気づいた。部屋のインテリアとの相性的に水色からサファイアブルーのような色にしたかったのだけれど、色を決めるときに照明の加減のせいで色選びを間違えてしまったようだった。まぁそれでもそれごと愛しいと思う。なんてったって私が磨き上げた泥団子なんだから。
天国のありか
UFOとか幽霊とか天国とか、地獄とかそういうのを一切信じていない同僚がいた。
「そういう不確かなものを信じるの、好きじゃないんだよね。」
彼女はそう言っていた。
彼女は強い人だった。幼い頃に両親が離婚し、父親も母親も親権は要らないと彼女を押し付け合い、結局父方の祖父母に育てられた人だった。幼い頃から家事をし、余った時間で勉強し、高校生になる頃にはそこにアルバイトを追加した。私と彼女はそのアルバイト先で出会った。
めったに笑わない人だったけれど、時々笑うと溶けた前歯が見えた。幼い頃、お腹が減るといつもコーラを飲んで空腹をごまかしていていて、飲み過ぎで溶けたのだと言う。今思うと、強くならざるを得ない人だったのだと思う。
そんな彼女がある日、バイトに遅れてくることがあった。店長曰く、バイトに来る途中で捨て猫を拾ったということだった。
またベタな遅刻の言い訳だよねぇと店長は笑っていたけれど、出勤した彼女は本当に猫を拾ったようで、よくわからない汚れにまみれたTシャツ起きたまま、バイト先にやってきた。飲みとダニと傷と膿でとんでもないことになっていたらしく、息も絶え絶えのその猫を彼女はTシャツに包んで抱えて病院に向かったらしい。
その後彼女は、今日中に猫の治療費を払いに行かなければいけないから、今日の遅番を代わってほしいと私に頼んできた。用事もなかった。私は領収し、彼女は何度も頭を下げて定時になるとすぐにバイト先を出て行った。バイト先の入り口のガラス扉から、ママチャリを猛然とこぐ彼女の姿が見えた。
2日後、再び彼女とシフトが一緒になった時、彼女はシフト代わってくれたお礼にと、近所のデパートで買ってきたらしい質の良いお菓子を私に渡してきて、その際少しだけ猫の話をしてくれた。
猫はネコダニと寄生虫と猫風邪と、とにかくいろんな病を抱えてしまっているらしかった。
投薬治療も点滴もできる事は全てしているが、後は猫の体力がもつかどうかにかかっているらしかった。
「できることならつきっきりでいてやりたいけれど、バイトを休むとあの子のための薬代も治療費も用意できないから」
彼女はそう言いながら古いガラケーで撮った猫の動画を見してくれた。子猫は両眼をつむったままにゃーにゃーと鳴き、彼女が伸ばした手の方に向かって頭をもたげ、彼女の手に頬を擦り寄せる仕草をした。
子猫の鳴き声の合間に彼女の小さな笑い声が聞こえて、それに合わせて画面が揺れた。その画面を見つめる彼女も喉を鳴らして笑った。
「元気になるといいね」
私がそう言うと、彼女は小さく微笑んだ。相変わらず溶けて1つになった前歯が見えていた。
それからしばらく、彼女とシフト被る事はなかった。私は友人とも呼べない、知人程度の同僚の猫がどうなったか、他の誰かから聞く事もなかった。
けれどなんとなく、彼女に拾われたのだから大丈夫だろう、病院に連れて行ってもらったのだから大丈夫だろう、根拠もなくそんなことを思っていた。
次に彼女に会ったのは1ヵ月後だった。1ヵ月ぶりに見た。彼女は穏やかな顔をしていた。
「猫どうだった?」
私が聞くと、彼女は答えた。
「ダメだった」
「ょ、」
その時の私は、てっきり元気になったよと言う答えが返ってくるものだとばかり思い込んでいたから、よかったねと言う準備をしていて、寸でのところで堪えることができたけれど、代わりになんて言ったらいいかわからなくて、笑顔を浮かべる手前の中途半端な表情で彼女を見つめるほかできなかった。
彼女はロッカーから制服を取り出しながら、淡々と続けた。
「途中までは順調だったんよ。ご飯も食べるようになって、おしっこやうんちも出るようになって、そのうち私がそばにおらんだけでにゃーにゃーうるさく鳴いて呼び付けてくるようになってさ。もうきっと大丈夫だって思ってたんだけど、朝起きたら冷たくなっとってさ。病院連れてったけど、やっぱりどうにもならんかった。体力が持たんかったんやって」
彼女はあっという間に制服に着替え終わると、私に向かって深々と頭を下げた。
「シフト、代わってくれてありがとね。あそこで病院にかかれんかったら、あの子もここまで頑張れんかったと思う」
その後私は、あぁとか全然いいよとか、何かを言ったと思う。あまりよく覚えていない。
それから彼女はまたあまり笑わない彼女に戻っていた。もともとそんなに会話することもなかったから、彼女は再びただの同僚の一人でしかなくなって、彼女はそのままバイト先を退職してしまった。
それから2ヶ月後、偶然訪れた居酒屋で彼女と再会した。彼女は以前のバイト先では想像できない位溌剌と働いていた。
彼女も私に気づいてくれて、料理を囲むタイミングで少しだけ話すことができた。
「今ここで働いてるの?」
「うん。居酒屋って時給いいから。学費と猫のご飯代稼がなくちゃいけないからめちゃくちゃ大変」
「猫?」
「野良猫の保護してる人から猫を1匹譲ってもらったんだ。虐待されてた子でね、威嚇して人に寄り付かないみたいなんだけど、私には威嚇しなかったんだ。だからその子を飼うことにしたの」
「そっかぁ。猫もこの人なら大丈夫って思ったんだろうね」
そう言うと、彼女はそうかなぁ、と照れくさそうに笑った。それから、少しだけ笑顔を崩して言った。
「本当はね、二度と猫なんか飼うもんかって思ってたんだ。もともとそんなに猫も興味なかったし、どれだけ手を尽くしても、あんな風に呆気なく死んじゃうんだったら、そんなの悲しすぎるからさ。──────でもさぁ。──────死んでも大好きなんだよね。あの子のこと。大好きで大好きで仕方ない。だからこうやって、別の猫でも、あの子にできなかった分まで幸せにしてあげたらさぁ、これからもずっと愛してるよって、あの子にも伝わる気がするんだよね」
そこまで話して、彼女は別のお客に呼ばれて私の席を離れていった。そのまま彼女は忙しく働いて、私の席の接客に入ることもなく私は退店し、それきりだ。
ずっと昔の話だけれど、猫を見かけると、時々彼女のことを思い出す。もう彼女の顔は思い出せないけれど、それでも、懸命に鳴き続けていた子猫の鳴き声と、彼女の笑い声とともに揺れていた画面だけは、未だに鮮明に覚えている。
もう見えなくなってしまったあの子は、今どこかに居るのだろうか。
けれど、彼女がそこに居ると信じる限りは、きっといるのだろう。
天国はそこにある。
ここにいます、見えますでしょうか
今私はこの記事を、煎餅布団の中、全身を包む孤独にゆっくり侵食されながら書いている。
キーボードを使って手入力する気力も起きないので、音声入力で書いている。多少の誤字脱字は許してほしい。
さて。
特別何か事件があったわけではないが、とにかく私は人間が嫌いなのではなく恐ろしいと思っているのだと気付いた。
この恐れはそう、冬場ステンレス製のドアノブに手を伸ばすとき、むき出しの指先に、静電気が走らないかどうかと、無意識に警戒してしまう気持ちに似ている。所詮は静電気だ、死にはしない。けれども、予想できる痛みであっても不快なものは不快である。
物心ついた時からとっくに、人間に裏表のない純潔の優しさを求めるのが間違いだとわかっている。人は必ず何かを傷つける生き物で、人は不完全で、関わり合う中で避けられない摩擦と痛みが生まれるのを知っている。その痛みには多少目をつぶって、それでも関係を続けていくのを人間関係と呼び、果ては多少の事ではほつれない結びつきになるのだろうが、私はどうしてもいつか体を走る痛みを想像して手を引っ込めてしまうのだ。パブロフの犬のように、人間=痛み、そういう方程式が、私の中にくっきりと刻まれているのを感じる。
これはネガティブとか、そういう話ではない。学習性無気力に近いものだと思う。永遠と摩擦を起こされ続けて、私はすっかり帯電体質になってしまったのだ。
ねぇ、お母さん、あのそろばん教室、定規で私を殴ってくるから行きたくないの
私の時はムチだったんだから、我慢できるでしょ。
静電気。
ねぇ、あの子と友達なんでしょう。へー。
…………………うん。
静電気。
結婚してないの。
してないよ。
静電気。
みたいに。他の人からしたら、ピリッとしたかどうかも気づかないようなそんな刺激を常に感じて、1人で勝手に苦しんでいる。
それが嫌で、どこにも触れないように、手を後ろで組んで全てを遠巻きにするように立っている。
それで、摩擦さえなければ日々の生活に耐えられるのなら何の問題もないのだけれど、それでは耐えられないから、こうして苦しんでいるのだ。
関わりたいと思う。会話をしたいと思う人生を交わらせたいと思う。けれど、いつか来る痛みともしかしたら与えてるかもしれない痛みのことを思うと、情けないほどに全てが嫌になって、相手の欠点を探して、怒ったり、傷ついたふりをして、相手と自分の前にシャッターを下ろす理由ばかり探してしまう。
こんなにも痛みに弱い存在に生まれてきたのならば、せめて孤独には鈍感な生き物として生まれてきたかった。
ASDやADHDなどの発達障害を進化の過程で生まれた「絶滅しないために生まれた変異種」として捉えられていると言う話を聞いたことがあるが、おそらく私もそれの一部なのだと思う。万が一、天変地異が起きたときのために、人類にいろいろなレパートリーを作っておいて、そのうちの1種でも生き残ればいい。そう、あくまで予備であり、保険。いらなければゆっくりと滅びていくだけ。
しかし、こんな自己矛盾の塊みたいな存在に生まれてきたおかげで見ることができた世界と言うのも確かにある。孤独を愛する方法も孤独を愛しいと思う気持ちも確かに私の中にはある。
いつか自家中毒を起こして死んでしまいそうな気がする。けれども、その前にこの世界の片隅に存在する変異種のあなたに、私と言う人間がここにいたこと、私もあなたと同じ孤独を持っていたこと、私たちは隣り合わせの孤独の中で共に生きていたことを伝えられたらと願って止まない。
アブソリュート・チェア
アブソリュート・チェア展というものに行ってきました。
(以下の写真全て撮影可の展示です)

見てもらえれば分かるように、椅子を日常生活における「人間の腰を休めるためのもの」という用途としてではなく、アート作品に仕立てて別の視点で見るという試みなのですが、素晴らしい展示でした。


椅子は人によってその役割と存在価値を得ますが、そうではなく椅子によって人は人の形を得る、という視点で作られた作品もありました。

特にすごかったのがこれ!盤全てが白いチェス。
チェスって本来黒と白の駒で構成しているわけで、しかも将棋と違って敵の駒を再利用できたりはしない訳ですよ。
つまりゲームが進んで互いの手駒が盤上で混ざりあったら、自分の駒がどこにいるのか相手の駒がどこにいるのか把握しつつゲームをしなければいけない。
それは自分を信じることでもあり、相手が嘘をつかないか疑うことでもあり、同時に相手に信頼してもらうことでもあり、相手を信じることでもあるのです。
その関係性を互いに同じ白い同じ椅子に座らせる構図にすることで表現するのすごくないですか!?
今年No.1の展示でした!
走馬灯用の美術館
社会人になった後、仕事と家とスーパーの往復だけで日々が進んで行く時期があって、さすがにこれでは人生が味気なさすぎると思い立ち、旅行に行くことを趣味にしようとした時期がありました。
しかし、もともと忘れっぽい性分だったせいか、旅行に行ってもどこで何を見たか食べたか、そもそもどこに行ったのかすら忘れることが多々でした。
そのくせ嫌なことばかり忘れられないという随分チグハグな脳みそでして、これでは碌な走馬灯が見られないのではと悩んだりしました。
結果、記憶を思い出すきっかけというか、記憶の窓を作れば良いのだと思い立ち、それ以来旅に行くたびに、何か1つものを持ち帰ることにしています。
ものとは何でも良いのです。観光地のお土産屋で買ったどうでもいいキーホルダーでもいいし、その場所に一切の縁もないようなただの絵はがきでもいいですし、公園に落ちていた花のかけらでも良いのです。
私はあらゆることを忘れていくのですが、そのものを見るたびに忘れていたはずの記憶が、ちゃんと記憶の美術館に飾られていることを確認できるのです。
これを始めた頃、折角なら記憶の美術館に残すのはパウルクレーとかクリムトみたいなそういうものばかりがいい、と思っていた時期もありましたが、
いざ飾ってみると、有名な観光地ですらない場所にある生しらすのお店までの細い道を照らす提灯の灯りであったり、すれ違った人たちのラフな格好であったり、通りすがったパン屋の香ばしい匂いだったり、道沿いのガラスに並べられた名前も知らないぬいぐるみだったり、そういう無名画家の作品ばかりです。
それでもなかなか悪くない走馬灯になるのでは、と思っています。
奇特な友人の話
木星人を名乗るぐらいなので当然変人なのですが、当然のようにそんな人間とは関わりたくないと思われるわけで。
近所の元友人は親同士のつながりで一緒にいましたが、中高では遠巻きにされ、全員地元を出たと同時に縁が切れました。
大学の同期は優しく、よく話しかけてくれたし変人さも個性として受け止めてくれたので孤独ではなかったのですが、それは人間関係を穏便にやっていこうという彼女たちの社会性のおかげであって、結局わたしに友人はいないように思っていました。
大学を卒業して散り散りになった後、わたしは家と職場の往復を続けたり夜逃げしようとして失敗したり転職したりとまず生きるのに精一杯だったので大学の同期について思い出すことすらありませんでした。
ですが社会人二年目に入った時、東京に行った大学の同期から突然個別ラインが入ってきました。
「元気?」
その子はクラスの一軍所属の、個別ラインなんて今までしていないような子でした。都会的で、そばかすが似合う韓国系のおしゃれな子です。サークルはハンドボール部で、いつも複数の友人と楽しげに一緒にいるのを見かけました。柳の様に何事も受け流す様に見えてフレキシブルな芯が一本通っているような、太刀打ちできないぐらい立派な人間性の子でした。
ついでに言えば、大学の頃のわたしの格好をおばさんくさい、ダサいと笑って言うような子でもありました。
(彼女の名誉のために訂正しておくとダサいのもおばさんくさいのも事実です。地味な格好でないと母がくどくど嫌味を言うのであえてそう言う服を選んでいました)
別にけちょんけちょんに言われても事実なので痛くも痒くもありません。それよりも貶す言葉が飛び出す彼女の口に塗られた赤いリップが本当によく似合っていたのを覚えています。
そんな彼女から突然メッセージが来たという状況が一瞬理解できませんでした。彼女には彼女によく似合う都会的で美しく可愛らしい友人なんていっぱいいるだろうに、なんでわたしに、と思いながら返信しました。
「元気だよ!ダメダメ教師やってる!突然どうしたの?」
(元気というのは真っ赤な嘘です。実際この時教師というブラック企業で働き頭のおかしい保護者のせいで精神を病んでいましたので元気じゃありませんでした)
「ふと思い出してさ。(私)って元気の塊だったからパワー欲しいなって」
「へー。何かあったの?」
「今東京で教師やってるんだけど、上司がキツくてさー」
「あー、そうなのか。心は平気?」
「受け流せてるからいいけど面倒」
「受け流すの上手そうだもんね」
「うん。でもなんかやだなーって。転職しようか迷ってる」
「そっか。あなたは生きるのうまそうだからどこでもやっていけそうだし、別の仕事でもいいかもね」
「そんなことないけど笑 めっちゃほめるじゃん笑」
「事実だし」
返信は返ってきませんでした。
同期の変人が気になって気まぐれで送っただけかあ、とすぐに忘れました。よくある事です、そういえばあの変人はどんな人生を送っているんだろうか、と怖いもの見たさで裏庭の大きな石を捲るような感覚です。
それから更に一年後、再びメッセージが来たのは夜逃げに失敗したわたしが転職をしたタイミングでした。新しい職場に慣れるために必死で、真っ暗な部屋で力尽きて横になっている時に来ました。また気まぐれか、と思いましたがなんとなくメッセージを開きました。
「元気か〜」
「元気じゃない 転職したばっかで疲れた」
「え!?転職したの?」
「電気屋 エアコンつけてる」
「マジか!」
少し間を開けて追加でメッセージがきました。
「わたしいま東京から出て鹿児島にいる」
「へー!あなたも転職したの?」
「うん。仕事辞めてカフェでバイトしてたんだけど上司がクソすぎてキレて辞めた。今は無職」
ふいに脳裏に彼女のそばかすのある可愛らしい顔が微笑み、オシャレなカップに入ったコーヒーを運ぶ情景が思い浮かびました。きっとカフェにいた時彼女はさぞお洒落で馴染んでいたことでしょう。
「へー。お洒落だもんね、あなた。イメージ通りって感じ。まあすぐ次見つかるでしょ。あなたなんて引っ張りだこだろうし」
「そうか〜?(私)なんでも褒めてくれるじゃん」
「事実だよ」
淡々と返事をしました。ええ、事実です。社会に求められるのはわたしのような変人より彼女の様なおしゃれで可愛い世渡り上手です。彼女もそれを分かっていてわたしのような変人にわざわざメッセージを送ったのでしょう、無職でもダサいコイツよりはきっとマシだと確認するために。
「次何しようか迷ってるんだよね」
「やりたいことないの」
「あるけど、創作意欲だけがあって何したいか分からん」
「あなたって服関係とかデザイン関係とか、何かを表現するのに向いてそうだよね。あなたのセンスはお洒落で好きだから何か作ったら連絡して。なんでもいいけど買いたい」
「えー?マジでなんでも褒めてくれるじゃん。元気出るわー」
「いいものは欲しいから。よろしく」
そこでスタンプを送って強引に話を切りました。疲れていたのです。
その時のわたしは彼女のことが好きかはよくわかりませんでしたが、彼女の作るものはきっと素敵だという確信だけはありました。
彼女はお洒落です。彼女がどこへ行こうと何をしていても何もしていなくてもその事実だけは揺るぎません。
だから別に彼女がわたしを見下していても画面の向こうの変人を面白がっていようとどうでも良かったのです。またいつかくる彼女の気まぐれを待とうと思いました。
彼女からの連絡が来たのは2年後でした。
「久しぶり」
その時ちょうどわたしは名古屋のお洒落なカフェの角の席で読書をしている時でした。エンドレス・ワールドという、三人の派遣たちが協力して巨大企業の悪事を暴く話です。本を一度閉じ、決して汚さないよう遠ざけた後コーヒーに手を伸ばしたタイミングでメッセージに気づきました。
「久しぶり。元気?」
「うん。今暇?」
「駅のカフェで本読んでる」
暇とは言いませんでした。周りから見たら暇そうに見えるかもしれませんが、わたしとしては本を読んでいて忙しかったので。
「駅ってどこ?」
「名古屋駅」
「マジか。私も名古屋にいるんだけど」
「マジ?」
「なんて名前のカフェに居る」
「⚪︎⚪︎ってカフェ」
「行くわ」
「マジで来るの?」
思わずそう送っても返信はありませんでした。
まさか来るとは。一体どれだけ暇なんでしょうか。
仕方なく本を閉じて彼女を待っていると、入り口から黒のTシャツにブルージーンズ、シンプルな黒のシューズという格好の、なんだか光を放っている人が入ってきました。
彼女です。
光を放っているというのはただの比喩ですが、それでも彼女の周りだけ映画のようにお洒落で、コーヒー豆の匂いに混じって謎の油のがするダサいカフェが急にパリの街角のカフェのように見えました。それはひとえに彼女がお洒落だというだけではないようでしたが、何故そう見えたか理由はよくわかりません。
彼女はわたしと目が合うと微笑んで駆け寄ってきました。足取りはそこまで軽やかではありません。
「久しぶり!元気だった!」
「久しぶり。まあまあかな。あなたは?」
「久しぶり!ってか“あなた”って!名前で呼びなよ!」
そう言われて困惑します。当然です。わたしたちは二人で会うような関係じゃなかったからです。名前を本当に呼んでもいいのか距離感を測りかねる訳です。
彼女はさっさとわたしの真向かいの席に座って、店員さんにミルクティーを頼みました。
「(私)痩せた?服もマシになったじゃん!」
「ストレスで痩せた。服はね、社会人になって自由になったから」
「何それ?」
「あー、女の子らしい格好すると親が嫌味言ってくるから着れなかったんだよね」
「マジか。やだねーそれ」
「そー。やっと自由になった」
深く考えず話してしまった重い話題を軽く流してくれる彼女に、やっぱりフレキシブル芯を持っている人間は違うとひっそり感心していると、彼女がふいにわたしの手元の本に視線を向けました。
「何?本読んでるの?」
「うん」
「話題の本とか?」
「ううん。古本屋で見かけてなんとなく買った」
「なんとなくって!(私)らしいね」
「そう?」
「そうだよ。面白い?」
「途中だけど面白い」
「そっか。当たりで良かったね
「え、別に面白くなくてもいいんだよ、こういうのは」
「え?」
その時ちょうどミルクティーが運ばれてきて彼女の前に置かれました。彼女は会釈と共に受け取ってミルクを注ぎます。わたしは深く考えずに話し続けました。
「流行とか話題の本って、大抵どんな中身とかどんなストーリーとか自然と情報が入ってきちゃうでしょ。大抵表紙も内容を予測しやすいデザインにしてあるし。まあそういう分かりやすい本だから流行るのかもしれないけど。わたしは中身が予測できないのが楽しいと思うタイプだからさ」
彼女の手元でミルクが茶色に溶けて混ざります。ゆっくりと、ティーカップの中身が今流行りのくすみベージュへと変わっていきます。お洒落なティーカップと流行りのベージュは流行りが好きな彼女によく似合いました。
彼女はそれを一口飲んで、少し考えてから言いました。
「なんかさー、今ので(私)のことがやっと少し分かった気がする」
「何が?」
「あのさ、さっき、親に嫌味言われるのが嫌で流行りの服着なかったって言ってたでしょ。私だったら絶対逆らうし、嫌味言われても着ると思ったんだ。なんで嫌味言われるぐらいで諦められたんだろう、言いなりでダサいままで、なんで平気だったんだろうと思った」
どうやら彼女から見てわたしは許し難いダサさだったようです。ファッションだけでなく生き様も含めて。あんなにけちょんけちょんに貶してきたのもそういう怒りからくるものだったと思うと腑に落ちたし、ならば貶されても尚傷つくこともせず彼女の赤いリップに見惚れてぼーっとしていたわたしにさぞ苛いただろうさえ思いました。
「へぇ」
そして今も、こうしてどうでもいいような返事をしています。実際どうでも良かったのですが。彼女はさぞ苛立つだろうと思ったけれど、彼女は小さく笑って言いました。
「でもそうじゃなかったんだ。(私)ってさ、心の底から流行とかどうでもよくて、ただそれが自分にないものをもたらしてくれるかどうかの方が大切なんでしょ。それで、自分にないものだ、価値があるって思ったことは絶対に意見を曲げないんでしょ」
「そうかな。よく分かんない」
「そうだよ。だって私のことお洒落だと思ってるんでしょ」
「うん」
「そういうところだよ。たとえわたしがなに言っても、どんなになっても、わたしがお洒落だっていう事実を変えるつもりないんでしょ」
そう言われて少し考えてみました。言われてみればそうとしか思えません。
「…………すごい、よくわかったね」
初めて、どうでもいい返事ではなく心からの感想を述べると、彼女は歯を見せて呆れた様に笑いました。
「ね、私ってどこらへんがお洒落なの?服?メイク?」
「分かんない。でもさっきもピカーって輝いて見えた」
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜!?んな訳〜〜〜〜」
「事実だって。あなた自身がお洒落だし」
そう言ってコーヒーを飲みます。少し冷めたブラックコーヒーは苦味が増して美味しく感じます。少しの間コーヒーの苦味に気を取られていると、彼女が鞄から何かを取り出して机に乗せます。
「なにこれ」
「絵」
見たら分かります。うっすら黄色の紙に鉛筆で鳥の絵が描かれていました。桜文鳥でした。
「絵、描いてるの」
「へえ、かわいい」
「絵に関係する仕事しようと思ってて。なんでもいいんだけど」
「あなたに似合うね」
「本当?」
「うん」
「私今までそういう仕事したことないよ?」
「え、うん。でも似合うよ」
その時彼女は5秒ほど、なぜだかわたしをじっと見つめました。目をまっすぐ見るのは緊張するので目線を下げると、丁寧に塗られたオレンジ色のリップが目に入ります。私が塗ったらそういうゆるキャラっぽくなるだろう色も彼女が塗ればお洒落になるのだな、とボーッと見惚れていると、彼女がペシ、とわたしの額を軽く叩きました。
「え、なに」
「またその顔か〜って思って」
「その顔って?」
「何にも考えてない時の顔」
図星です。より正確に言えば、彼女の口紅のことは考えていたのでなにも考えていない訳ではなかったのですが、彼女からしたらなにも考えていないも同然です。
「逆に聞くけど、人と話す時そんな深く考えて会話しなくない?」
私がそう尋ねると、貴方らしいね、と苦笑いした彼女に言われました。
その後彼女の描いた文鳥の絵を改めて見て、可愛かったのでできれば売ってほしいとお願いしたところ友達からお金とか取らんし、と断られ、結局彼女の描いた文鳥はわたしの家にいます。よく目が合う気がします。
相変わらずメールは来るし、鹿児島の桜の写真を送ってきます。
それと、そういえばなんですが、どうやらわたしは彼女と友達だったらしいです。もっと早く教えてほしかったものです。
名前も知らない増田に1年程焦がれてる
https://anond.hatelabo.jp/20230729012429
この増田さんです。
わたしは好きがよくわかりません。
(きちんと愛してもらえなかったのでそう言う情緒が育たなかったらしい)
だから恋愛とかも地球の異文化だなーって木星から望遠鏡越しに眺めてたんですけど、その時偶然この増田さんの文章を読みまして。
それ以来、堤防沿いの道に漂う陽炎にまとわりつかれながら、入道雲の天辺に思いを馳せたいなとか、秋や冬の寒さに皮膚を分厚くしながら空を見上げて綺羅星を見て歩きたいなとか、そういうことを考えています。
誰かと同じ景色を見て同じことを考えたいと感じるのは、地球人になりたいと願い続けたあの頃以来です。
別にこの気持ちをきもちわり、あっちいけと短くまとめられても別にいいんです。
なんとなく恋とか愛が分かった気がして嬉しいだけなので。
ただ、今は夏が待ち遠しい。
休みができたら入道雲を探しに行く予定です。